- ゴルフ経営原論
- 目 次
- INTRODUCTION
- 第一部 ゴルフビジネス
- 要 綱
- 第一章
マーケティング - 第二章
プロモーション - 第三章
インストラクション - INTRODUCTION
- -1 指導局面における
ティーチング&コーチング - -2 スクール指導における
グループレッスンの重要性 - -3 トレーニングプログラムと
エクササイズ - -4 データクリニックと
トレーニングメニュー - -5 クラブサークルの
組織計画と運営 - -6 ジュニアスクール&クラブ
の計画と運営 - 第四章-1
経営マネジメント - 第四章-2
施設マネジメント - 第五章
ビジネスポリシー - 第二部 ビジネスマネジメント
THE GOLF FUNDAMENTALS
- ゴルフ経営原論 第一部 ゴルフビジネス -
Section 1 指導局面におけるティーチング&コーチング
INTRODUCTION | << | >> | -2 | スクール指導におけるグループレッスンの重要性 |
米国では1970年代に入り本格的に学校体育にゴルフが導入されて、NGFコンサルタントは指導法について多角的に研究し、マニュアルやガイドブックにまとめると同時に、指導局面におけるティーチングとコーチングの概念を明らかにしている。
ティーチングとは指導テーマに対する定義や概念を明確にし、学習者に対して正しく概念理解させることをいう。テーマに対して定義や概念が曖昧だと学習者は誤解し、明確なイメージを画けないまま学習や練習を続けることになるため、誤った方向に努力することになり目標とするゴールに到達することができない。経験や勘に基づく指導は定義や概念が曖昧で、学習者にとっては理解し難い表現を使用することが多い。未経験者である学習者は経験者である指導者から、いくら体験談を聞かされても自ら再現することは難しい。
ティーチングとコーチングの概念は、ゴルフだけでなくあらゆる事の指導局面において重要なことで、指導力そのものに影響する。例えば道を教える場合に目的地を明確にして、通る道と途中の目標物や間違いやすい交差点、信号の数、距離、時間などの情報を的確に提供してゴールまでのイメージを頭に画かせれば、迷ったり混乱せずに目的地に到達できる。車に搭載されるカーナビは典型的なティーチング&コーチング・ツールで、大過なく目的地に到達するのに必要な道具となっている。このように考えればティーチング&コーチングとは指導ナビゲーティングといっても差し支えないであろう。
ティーチングの重要性
大脳生理学の立場からすると大脳は右脳と左脳からなり、右脳は運動を司り左脳は思考を司っているという(ゲーリー・ワイレン著:ゴルフマインド参照)。ワイレン博士によれば、子供の頃は左脳が未発達なために右脳が直接働いて真似することが上手だが、成人するに従って左脳が発達するために、左脳から知識情報を提供されないと行動できなくなるという。だから成人を指導するときは事前に充分な知識情報を提供し、目的方法を明確にしないと行動に移せなくなる。
例えば子供をパッティンググリーンに連れて行ってパターとボールを持たせておけば、何も教えなくても大人がやっていることを観察して30分もすれば勝手にパットゲームを楽しんでいる。半日もすれば大人顔負けのパットの名手に成長するが、大人になるとそうはいかない。巧くいかなくてすぐ諦めるか、試行錯誤を繰り返すだけで余り成長しないか、変則的な癖が身に付くことが多い。
一般的には最初に正しい予備知識や方法概念を提供され、指導に従って基本動作を反復練習して初めて進歩成長するが、この正しい予備知識や方法概念を提供することをティーチングといっている。適切なティーチングが行われたかどうかで、その後の進歩成長に大きな影響を及ぼし、不適切なティーチングが行われると、誤解や基づく試行錯誤や間違った方向に向かって努力を積み重ねることになる。このようにティーチングは学習者を正しい方向に導き、回り道や無駄な努力を最小限に留めて、効率的な学習効果を得させる働きをする。
ティーチングの方法
ティーチングは言葉によることが原則であるが、言葉は表現が曖昧であったり相手が誤解することが多い。言葉の曖昧さや正しく伝達されないことは「伝言ゲーム」で証明されるが、情報や技術を言葉によって人に伝える場合は殆んど正しく伝わらないと考えるべきである。
それ以前に伝えるべき概念が正しく表現されているかが大きな問題で、言葉そのものが持つ曖昧さは避けることができない。例えば「強く」「弱く」「大きく」「小さく」と表現した場合、発信者の感覚は受信者に正しく伝わらないが、言葉による伝達力の限界は最初から障害として存在している。巷間見られる言葉によるレッスンは、常にこの障害や限界のうえに成り立っていることを承知していなければならない。
そこで言葉によるティーチングの弱点や限界を補う方法として文字や映像が利用されるが、言葉は簡単に口から出たり言い直すことができるために、不用意に使われたり余計なことが付け加えられることが多い。言葉が不用意に使われるのに対して、文字は何度も書き直され推敲を重ねることができるために言葉が慎重に選ばれ使われている場合が多い。文字は何度も読み直すことができるが全く読まれないで終わることもある。言葉が耳からの伝達であるのに対して文字は目からの伝達であるが、情報伝達手段つまりティーチングの方法としてどちらが優れているか一長一短あって甲乙付け難い。
NGFの資料によれば言葉と文字の伝達力はいずれも7%といわれている。
これに対して映像の伝達力は高く評価されており、言葉と文字が7%に対して映像は80%以上といわれている。裏付ける言葉として「一目瞭然」とか「百聞は一見に如かず」といわれるが、子供の物真似はこの映像による学習と同じ効果とも考えられる。しかし反面、情報伝達力が高いだけに一端違った情報が伝達されると、容易に修正除去できない欠点がある。子供や奥さんがお父さんの変則スイングを見習ってゴルフを覚えた場合など、生涯そのスイングが身に付いてしまう場合がある。
このように情報伝達手段として言葉・文字・映像の三種類があるが、近年これらを統合した3D(三次元)システムが使われるようになった。映像を見ながら文字を読み言葉を聞く方法である。NGFの映像テキストはこの3Dシステムを採用しているが、情報伝達にとって重要なことは方法手段より内容そのものであることを忘れてはならない。間違った情報、曖昧な情報が強力に伝達されれば、それだけ修正除去が難しくなることも避けられない。従って、ティーチングには優れたテキストが使われ、テキストに沿って指導や学習が進められることが重要な要件になる。
テキストの効果
学校教育によらずゴルフ指導によらずテキストの果たす役割は大きいが、それはあたかも旅行するときの地図やガイドブックに匹敵し、初めての旅行やハイキングに地図は欠かすことができないのと同じである。その地全体の概要を知り細部の情報を知って目的地までの道順を理解するが、目的地に到達する最短距離を知るためだけではなく、途中にある風物や景色を観察し見聞を広めてより楽しく有益にするために地図やガイドブックが利用されるのに似ている。事前情報を充分に集めて効率的に有益な旅をしようとする人の考えだが、中にはハプニングを楽しむ冒険旅行もあるから一概に断定することはできないかもしれない。
しかしゴルフの場合には趣味といえども更に大きな意味がある。ゴルフはフィジカルな面とメンタルな面が共存するが、フィジカルな面でいえばテキストなしで学習やトレーニングを始めることは、ゴルフという特殊な技術を修得するのに体験主義による試行錯誤から開始することを意味する。歩く・走る・食べるというような人が持って生まれた潜在能力による行為と異なり、クラブを持つ・振る・打つという後天的な技術習得は、試行錯誤から学ぼうとしても容易に進化した技術を習得できない。習得しても余りに時間と費用が掛かり過ぎるから、学習者の努力は忍耐の限界を超えてしまう。
このプラトー現象といわれる中途挫折は目標のない努力や進歩のない現状に嫌気が差して起こるものといわれている。テキストやガイドブックがないと誰でもこのような状態に陥りやすく、現在の学習や努力が確実に目標やゴールに向かっていることを確認できないと、人はその学習や努力を継続できない。
指導する立場から見ても指導者を信頼させ、学習者を納得させるためにテキストは必ず使用すべきである。学習者は理解できなかったり納得できないとき、まず最初に指導者を疑う。指導者の説明や指導内容が信頼できるテキストに沿ったものであれば、学習者は自分の理解不足や誤解に気が付き、指導者を疑うことはない。テキストは学習者にとって必要なだけでなく、指導者にとっても絶対必要であることを承知していなければならない。
入門段階のティーチング
入門者は常に白紙の状態にあるため、最初にインプットされた情報が後々まで影響する。旅行の第一歩が違った方向にスタートすれば、時間が経つに従って取り返しの付かない状態になる。「ボタンの掛け違い」という言葉があるとおり第一ボタンを掛け違うと、進めば進むほどやり直しをすることが大変になり、結局はじめからやり直さなければならない。
この初めの第一歩、第一ボタンに当たるのが入門段階のティーチングであり、学習者にとって極めて重大な局面に当たる。最初にゴルフというスポーツゲームの特徴や概念、学習方法や練習方法を正しく理解し、これから楽しいことが始る期待感を持たせるならば入門段階のガイダンスは成功である。入門段階で絶望感を与えたり、興味を半減させるようなティーチングは絶対避けねばならないし、まして不快な思いをさせてはゴルフに対する興味そのものを失わせてしまう。入門段階のティーチングで最も大切なことは、ゴルフに対する興味を抱かせることと、自分にもできそうだという期待感を抱かせることである。
「最初にガツンとやる」という方針で臨む指導員を時々見かけるが、ゴルフの世界では明らかに間違いである。軍隊教育や格闘競技指導ならば一歩間違えば命に係わる危険が伴うので、入門段階から強靭な肉体と強い精神力を養うために厳しい指導をすることに正当性がある。しかしメンタルスポーツ文化であるゴルフは教育目的が根本的に異なり、倫理道徳や人間教育の性格が強いから指導者の人格や人間性が疑われるような初期指導は好ましくない。まして商業スポーツ指導員といわれるビジネスプロとして、「人の評価は第一印象で80%決まる」といわれるほど厳しいマーケットに対して、ノンカスタマー対策やプロモーション戦略を根本的に感違いしていると考えなければならない。
中級段階のティーチング
10年以上の経験がありながら一向に上達しないゴルファーも多いが、特に熱心にレッスンを受け練習している人に対するティーチングは重要である。このような人はスイングの基本概念やゴルフに対する考え方が根本的に間違っているか誤解している場合が多いので、ティーチングによってパラダイムの転換を図る必要がある。
パラダイムとは概念、理解、考え、イメージなどを指し、その人の行動原理を司っているから極めて重要な役割を負っている。例えば「スイングはクラブヘッドでボールを叩く動作」、「フルスイングとは力一杯スイングすること」、「飛ぶほど巧い人」、「グリップは強く握るもの」、など間違ったパラダイムを持っている人は結構多い。パラダイムは深層心理に根ざすものだから本人も気が付いていないことも多いだけに厄介である。
また上達しないと嘆く人はスコアが良くならないことを意味する場合が多いが、「全てのホールでパーを狙う」「ドライバーの飛距離こそ命」「全てのショットに理想的な弾道を求める」「ショートゲームはピッチングウェッジが全て」など、トッププレーヤーのパラダイムに固執している人が多い。
ミスゲームといわれるゴルフに対して完璧主義は危険である。深層心理やパラダイムに潜む誤解や誤った概念は一刻も早く除去ないし修正しないと、同じ行動パターンを繰り返すことになる。基本を知らず我流でやってきた人や、基本を知らない指導員に習ってきた人に多く見かけるが、その割合は想像以上に多いことに驚く。
このような人に対して技術指導に入る前に問診やカウンセリングによって誤解や勘違いを見出し、ティーチングによってパラダイムの転換を図ることにより、長いプラトー現象のトンネルから抜け出す一助となりうる。
上級段階のティーチング
中級者に起きるプラトー現象と異なり、上級者やベテランに起きるスランプ現象は厄介な課題である。多くの場合「燃え尽き症候群」といわれる精神的弛緩から起きる現象で「ライバルがいない」「目標を失う」「体調を崩す」「精神的に病む」「環境が変わる」などの原因によって、ゴルフに対する情熱や集中力を失うことから生じる。2010年のタイガー・ウッズが典型的な例で、回復に時間が掛かるか不可能な場合もある。パラダイムを超えてゴルフ観や人生観そのものに係わる問題で、本人自身が静かに考え悟りを開かなければ容易に脱出することはできない。それゆえに三流選手は技術指導、二流選手は心理指導、一流選手は信仰指導が必要といわれるのであろう。
一般ゴルファーレベルでは、上級者・ベテランといえどもスランプ脱出はもっと容易である。ゴルフに対する目標や情熱を失った場合が殆んどだから、新たな目標や情熱を燃やす対象を見つければ解決する。近年多く見られるのが「定年退職したらゴルフ三昧の生活をしてゴルフを見極めよう」という長年の夢が、その時を迎えたら「周囲に良きライバルがいなくなった」「時間がありすぎて集中しなくなった」という状況に見舞われるケースであるが、明らかに環境変化によるスランプ現象である。既に相当の経験や技術をもっている人達だけに、環境変化に対して新たな目標を設定するだけで情熱や集中力は回復するはずである。
高齢者の場合なら「エージシュートを目指す」という目標を掲げるだけで生活習慣が一変する。加齢に伴うに体力の低下を食い止めるために生活習慣を改善し、食事や栄養摂取に気を使い、日常メニューに従ってトレーニングを開始するはずである。しかも、余命とスコアの真剣勝負だから毎日の生活に相当の緊張感と充実感をもたらす。忽ちスランプを脱出するに違いない。
エージシュートを狙うには早すぎる中高年者の場合は、家族や子供を指導することによって新たな情熱が湧き起こる場合が多い。スランプは自分自身に燃えなくなったときに起こる現象だから、自分以外の対象を見出すことによって新たな情熱が点火される。教えることは学ぶこと ‐Teaching is Learning‐ という諺どおり、人を指導しようとしたとき誰もがあらためて真剣に学び直すために、結果的に自分が向上することを指している。
人を指導するとなると今まで曖昧にしていた基本概念や経験に依存した技術論では相手に伝わらない。原理原則に則って基本概念や技術を整理し定義付けて解り易く説明しないと、家族や子供は納得しないどころか相手にもなってくれない。家族や子供は情け容赦のない実に厳しい生徒なのである。ティーチングの重要性が理解されるであろう。
コーチングの目的と意義
コーチングとレッスンを混同してはならない。コーチ ‐Coach‐ の語源は馬車やクルマなど人を目的地に運ぶ役割を負うことで、コーチングは「ゴルフの楽しさを教えたい」「競技会に出場させたい」「優勝させたい」「プロにしたい」など目標に向かって生徒と夢を共有する指導をいう。
コーチングに対してレッスンとは単なる技術指導のことをいう。コーチングは常に目標を達成する手段であって合目的性が要求される。無駄に思えること、辛いことでも目標達成に必要なことをコーチと共通認識していれば生徒は耐えられる。練習やトレーニングは退屈で楽しくないが、目標と目標達成までのプロセスが明確であればあるほど生徒は練習やトレーニングに励みが出るばかりか楽しくもなる。
最大の問題は目標を見失ったり、練習やトレーニングの方法に疑問を持ったときである。コーチはこの状況に気付いたら、いち早く生徒と話し合いティーチングをやり直さなければならないが、それには何に疑問を感じ納得いかないのか生徒の意見を充分聞かなければ問題は解決しない。コーチングの目的は生徒を目標に向かって導くことであり、目標を達成させることであるから、生徒が挫折しそうになったら叱ること、励ますこと、休ませることなど臨機応変に手段を選ばなくてはならない。
このような局面におけるティーチングはコーチングをサポートする重要な役割を負い、ティーチングを誤れば今までのコーチングを全て台無しにすることもありうる。ティーチングとコーチングは常に補完し合うもので、ティーチングの伴わないコーチングは絶対服従のスパルタ式軍隊教育と何ら変わらない。絶対服従が目標に対して功を奏する場合もあるが、ゴルフ指導の場合にはゴルフの本質に反するので余り感心した方法ではない。なぜならば、ゴルフ指導の最終目標は人格形成や人間教育にあるからである。
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