THE GOLF FUNDAMENTALS
- ゴルフ基礎原論 第一部 ゴルフゲーム -
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長い歴史と伝統を持つゴルフは余りにも多くの側面や要因があって、体系的に学ぼうとなると、どのような切り口から学んだらよいか一元的に捉えることができない。1988年、日本ゴルフ学会が発足したとき研究領域を16分野に分類したが、それは不充分というより不完全だった。ゴルフを体系的に学習し研究しようとしたとき、各分野を単一分野としてとりあげると、余りに学際領域が広いため、ひとつひとつがいろいろな分野と交錯関連して、分野研究としても体系研究としても中途半端なものになってしまう。ちょうど人間を研究しようとしたとき、精神や魂の存在としてみるか、肉体や生物の存在としてみるかで切り口は全く違うのと同様に、下手な切り口や糸口から研究しはじめると忽ち堂々巡りをするか、核心に触れないまま努力が徒労に終る危険がある。つまりゴルフも人間の存在と同じように三次元的に捉えないと複雑すぎて全てが中途半端になってしまうことが解った。それゆえゴルフは総合科学といえる。
そこでひとつの方法としてゴルフを<ゲームとビジネス>、つまり「球技の側面」と「仕事の側面」に分けて捉え、それぞれの側面を基本的かつ専門的に体系化する方法を試みた。これは現代スポーツが好むと好まざるとにかかわらず本質や基本を忘れて益々専門化し商業化していく傾向にあり、ゴルフだけが避けて通れない道と判断したからである。アマチュアリズムとプロフェッショナリズムは女性と男性の関係のようで、本質的には両者全く異質でありながら対立し争ってみたところで所詮は互いに幸福になれない。異質であることを認め尊重しあって、初めて互いがより良い関係を構築できることに似ている。NGF CEO Dr. Joe Beditzはこのことを「ゴルフの発展なくしてゴルフビジネスの発展はありえない。ゴルフビジネスの発展なくしてゴルフの発展もありえない。」と表現した。
ゴルフを純粋に長い歴史と伝統を持つ「遊戯または球技」として捉えてみるとそこには神聖にして高度な文化が潜んでいる。遊戯や球技を遥かに超越した魂や精神の領域があって、神との係わりなくして語ることすらできない。精神の領域に触れれば、宗教、思想、哲学、心理、感性の世界に足を踏み入れることになり、もはや悠久を越えて永遠の世界に入る。PGAのDr. Gary Wirenはこのことを「ゴルフは極めて単純なゲームだが、プレーする人間が余りにも複雑すぎるのだ。」と表現した。
一方ゴルフを「仕事またはビジネス」として捉えてみると、あらゆるスポーツの中で最も多額な投資が行われ、桁外れの市場規模を有している。そこにはあらゆる科学技術が導入され、実に多彩な産業構造を構成していることがわかる。米国では先の世界恐慌で巨額の損失を出したし、日本でも不動産バブルの崩壊で10兆円近い損失を出した。ゲーリー・ワイレン博士が言うとおり、ゴルフはもともと「ボールを打って穴に入れる単純な遊び」に過ぎないから5歳の幼児でも簡単に理解できる。本来ならとてもスポーツだの文化だの仕事だのと言えた代物ではないはずだが、それにも拘らずゴルフはいくら研究しても「今にして 道半ばまで 未だ遠し。」という実感が伴う実に不思議な存在である。
NGF FAR EASTは創設以来、一貫して教育プログラムの開発とゴルファー及び人材育成に携わってきたが、はや30周年というひとつの節目を迎えた。まだ不完全と思いつつもゴルフの基本体系を根本的に分類し直し、これを次世代への学習指針として再編成してみようと考えた。情報通信革命によって社会の体制や制度が大きく変わろうとしている今、ゴルフライフやゴルフビジネスのあり方も変貌すると思われるからである。従来の二次元展開から三次元展開に発展させることによって、ゴルフの魅力やパフォーマンスを少しでも多くの人々により広く、より深く伝えることができないものか思索し期待している。
試みにゴルフゲームの分野をフィロソフィー、セオリー、メソッド、ゲーム、サイエンスの5領域に、ゴルフマネジメント科学の分野をセルフマネジメント、コースマネジメント、スコアマネジメント、ゲームマネジメント、マネジメントサイエンスの5領域に再編成した。また各領域が他の領域から孤立しないよう、一貫性や連帯性に最大限の配慮をしたつもりだが、理解を助ける試みとしてファイブピースボール(五重構造)になぞらえて全体の体系や分野の位置づけを表わしてみた。ゴルフボールと同様に五層が一体となって機能したとき、最高のパフォ-マンスが発揮されるはずである。
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