- ゴルフ基礎原論
- 目 次
- 第一部 ゴルフゲーム
- 要 綱
- INTRODUCTION
- 第一章
フィロソフィー - INTRODUCTION
- -1 ゴルフの伝統的思想背景
- -2 セントアンドリュウス
- -3 ゴルフと騎士道精神
- -4 騎士道精神と武士道精神
- -5 「あるがままに」の思想
と自己審判制度 - -6 ゴルフの倫理観と
ジェントルマンシップ - 第二章
セオリー - 第三章
メソッド - 第四章
ゲーム - 第五章
サイエンス - 第二部 ゴルフマネジメント科学
THE GOLF FUNDAMENTALS
- ゴルフ基礎原論 第一部 ゴルフゲーム -
Section 1 ゴルフの伝統的思想背景
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不思議なゲーム
ゴルフを始めた当初、誰もが奇異に感じることは最初にエチケットを指導されることと、プレーヤー自身が審判を勤めることだろう。ルールブックを見ればいきなり第一章がエチケットから始まり、第二章から難解なプレーの規則が山のように書いてある。一読難解、二読誤解、三読不快といわれるゴルフ規則を本当に理解するためにはゴルフの伝統的思想背景を理解しなければならない。しかもゴルフは最初からルールブックを携えて自分で審判をやらなければならない誠に理不尽なゲームでもある。その思想背景を知って本質を学んだとき、ゴルファーとして成長する以上に人間として大きな成長を遂げる。最初にエチケットを学ぶこと、最初から自分で審判を勤めることに大きな意味がある。
ゴルフは初め一対一で勝負するマッチプレーだったからルールも審判もいらなかった。子供がじゃんけん勝負をするのと同様に、勝ち負けのルールは暗黙のうちに決められていたはずで、ずるいことや卑怯なことはお互いに戒めあって解決していたのである。じゃんけんでも後出しは違反とか判別不能なサインは無効とか、その都度もめながらも不文律が定められてゆき、従わないものは仲間はずれにされ、手に負えないものは呼び出されてその仲間集団から手厳しい制裁を受けたと思われる。
勝負の世界
そんな情景を想像しながら1744年に制定されたとする最初の「13条のルール」を読んでみると大変おもしろい。勝負にこだわる余り、ずるい手を考え妙な言いがかりをつける輩がいたらしい。マッチプレーの時代に、しかも不文律の国でルールを制定しなければならなかったとは、よほど目に余る状態だったか大事件が発生したに違いない。人の話や文献によると、当時はもめごとや争いを解決するのに決闘の代わりにマッチプレーが行われたという。女の奪い合いから全財産をかけた大バクチ。あるいは地位身分のある貴族の名誉をかけた勝負と、それこそ街中におふれが出るわ、領主や代官が立ち会うわの大騒ぎもあったようだ。当時の情景が絵画に描かれて残されているから、じっとそれを見つめていると歴史のひとこまに入り込んで、しばし時間の観念を忘れて熱い世界に浸ることができる。巌流島の決闘を思い出せば想像できるではないか。このようにゴルフはマッチプレーによって始まったことにより、きれい事など言ってはいられない真剣勝負の思想が見えてくる。とにかく、ひとホールひとホール、相手より一打少なくホールアウトしなければ自分の大事なものを失う。どんな手を使おうがどんな道具を使おうが、なりふり構わず勝負にこだわる動物的本能が見えてくる。私たちはゴルフを文化と呼ぶ前に、文化になるまでの過程を想起し原点に遡って検証することで、ゴルフの本質や本当のおもしろさが理解できるのではないか。
ルールの始まり
先に挙げた13条のルールを制定したのは「ジェントルマン・ゴルファーズ」後の「オナラブル・カンパニー・オブ・エジンバラ・ゴルファーズ」というスコットランドに在ったゴルフクラブと伝えられるが、その名称から紳士たちが集まるクラブであったことが窺える。そうなると当然の成り行きとして礼儀や規律や秩序を求めるようになり、紳士協定だけでは心許ないから成文化しようということになったのであろう。更にゴルフが普及してさまざまなゴルファーが現れてくると、勝負だけに血道をあげるばくち打ちだの、ならず者だの一緒にされては困るような連中も横行するようになったのだろう。ジェントルマンだけでゴルフをするようになるとジェントルマンシップの裏づけとして騎士道精神が求められるようになったと考えられる。しかし騎士道そのものもキリスト教によって教育され、ジェントルマンシップの裏付になるまで相当の時間が掛かっている。
キリスト教精神
そもそもゲルマン民族そのものがキリスト教による洗礼を受けるまでは、野蛮な民族でどうしようもなかったらしい。ゴルフ黎明期とも思われる1535年には中世イギリスの理性とも、代表的教養人とも言われる「ユートピア」を書いたトーマス・モアは、王権に逆らったとして断頭台の露と消えている。罪状は王権より神の権威を優先させたという勝手な言掛かりである。もっとも日本でも同じ時期に同じような動機で代表的教養人の千利休が秀吉によって切腹させられているから、いつの時代も理性や教養は権力の前に脆いものかもしれない。1611年になるとジェームス一世が欽定英訳聖書を発刊し、オリバー・クロムウェルらによってピューリタン革命から名誉革命に進み、立憲君主制がイギリスの国体として定着する。争いを繰り返した野蛮なゲルマン民族も、ようやく神の下における倫理道徳や行動規範を受け入れ、統一国王を戴いて大英帝国の誇り高き世界制覇がはじまる。誇り高き英国精神は、騎士道に基づく倫理道徳規範に支えられ、騎士道は国教となったキリスト教プロテスタンティズムに支えられてイギリス人の精神基盤となった。
聖書の影響
そのような歴史背景の中で育ったゴルフが1744年になってようやく13条のルールをもつに至ったのも頷ける。なにせ17世紀になってジェームス一世の欽定英訳聖書が世に出るまでは、聖書そのものを見たこともなければ、ローマ教会から一般人が読むことを禁じられていたくらいだから、ギリシャ語で書かれた聖書をただ遠くのほうから拝んでいただけに違いない。それどころか英訳聖書が出版されても、文字が読めるものは貴族僧侶の一部で、庶民にはまずいないほど民度が低かったようだから、一世紀近くも前にマルティン・ルターによってドイツ語に訳され、大陸に宗教改革の嵐が吹き荒れても、聖書が読めない悲しさでローマ教会と何を争っているかも良く分からなかったに違いない。そんな時代に宗教と教育の街セントアンドリュウスで、倫理道徳教育の実践手段としてゴルフが活用されたとするならば、確かな証拠や裏付けがあろうがなかろうが、それだけでもゴルフ発祥の地とするにふさわしい。ゴルフの思想理念をあらためて掲げる意味は、私たちにとって評価してもしきれないほど高い価値を持っているからではないだろうか。
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