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National Golf Foundation College Textbooks
THE GOLF FUNDAMENTALS
-  ゴルフ基礎原論  第一部 ゴルフゲーム  -
第一章 フィロソフィー
Section 4 騎士道精神と武士道精神

ゴルフの思想源流を騎士道精神に求めると、それはマッチプレー精神となってブラウニング説による十字軍遠征と重なりながらキリスト教思想に到達する。どうやらゴルフも騎士道も思想源流を辿っていくと、同じ源泉に行き着くようだが、それはゴルフも騎士道も確かな動機付けや意義がないと、存在そのものにどこか危うさがあるからだろう。ゴルフという博打手段も、騎士という戦闘手段もその時代社会にとって必要悪であることは認めても、できるだけ健全な姿であって欲しいと思うのは世の常だろう。一騎打ちも決闘もマッチプレーも性格は全く同じだから、神の審判のもと正々堂々と闘えということになったと思われる。

宗教改革

16世紀にはいってヨーロッパに宗教改革の嵐が押し寄せると、騎士道やゴルフの在り方にも大きな影響を与えた。英国も立憲君主制の下に民主主義が発達し個人の人権が尊重されるに従って、騎士道精神の拠り所も君主たる国王から主なるイエスキリストへと変わっていく。ゴルフも騎士道精神に則って正々堂々とマッチプレーをした時代から、神の審判の下に紳士的にストロークプレーをする時代に変わり、勝負より精神が大切に思われるようになった。
騎士も発生当初は社会の目に厄介者や鼻つまみ者が多かったと思われるが倫理や道徳が導入されて社会訓練が進むうちに、騎士道なる固有の規範ができたに相違ない。騎士は職業軍人の元祖として、常に女子供や国家から頼りにされる存在でなければならないし、強く正しく優しく勇敢でなければならない。段々と女子供の憧れの存在となり社会の花形となっていく。社会的地位身分が高まれば自然に自らの襟をただし、ノーブレスオブリージュといわれる責任意識や品格が備わってくる。このように厄介者の騎士に倫理道徳が備わって騎士道となり、騎士道に高邁な精神が宿って騎士道精神に発展したと考えられる。こうして騎士道精神は中世ヨーロッパ社会における貴族階級の精神支柱となり、近代欧米社会におけるエリートやリーダーの精神基盤となったのである。

武士道の源流

武士道精神も同じような生成過程を辿って成長する。詳しくは「ゴルフ武士道」に譲るとして、12世紀にはいり平安貴族が自らの所領の安全を維持できなくなって今で言うガードマン、即ち武士を雇って所領の安全を図るようになった。 最初は番犬代わりの武士も、やがて倫理道徳を備えて武士道となり、ノーブレスオブリージュの魂が宿って武士道精神に発展する。1192年鎌倉幕府の成立に伴って武士は社会のリーダーとなり戦国武士道の時代となる。武士道の晴舞台は1274年81年の元寇の役に訪れた。戦国武士達は蒙中朝連合軍14万の来襲に対し結束して迎え撃ちこれを殲滅した。捕虜となった兵士の三分の二以上を占める南宋兵が、祖国を失い捕囚として徴用されていたことに深い惻隠の情を示している。我が国最初の国難にあたり武士道精神は遺憾なく発揮されたのである。1600年関が原の合戦、1615年大阪夏の陣を制して戦国時代に終止符を打った徳川家康が武士を支配者とする身分階級制度を確立して世を治める。泰平の時代にはいって武士道は仏教思想に儒学儒教の思想を導入して文官の倫理道徳規範、即ち葉隠武士道へと変わっていった。武士道は権力や支配階級の保身目的を超越して多くの日本人の良心となり魂となっていったのである。

長期政権に腐敗した徳川政権に対して葉隠武士道は憂国武士道となり、1837年天保の大飢饉に難民を苦しめた悪徳商人と徳川幕府に正義の刃が向けられた。決起したのは大阪の下級葉隠武士・大塩平八郎である。決起に失敗して自決した平八郎の腐乱死体を獄門張付にした幕府の非道に、憂国論は倒幕論となり怒りの倒幕運動となって明治維新へ突き進む。明治維新のパワーが権力闘争や階級闘争から生まれたものではなく、武士道精神の正義感から生まれたものであることは私たちの誇りとするところである。 幕末は欧米列強に包囲された第二の国難であった。憂国武士道は江戸城の無血開城を可能にし大政奉還を実現したが、明治維新が単なる階級闘争や権力闘争だったら、諸外国に蹂躙され植民地化されていたとしてもおかしくない。二年に及ぶ岩倉使節団の欧米視察旅行中も平穏を維持し、帰国後は脱兎の如く欧米列強の政治、行政、軍事、産業、教育など取り入れ、殖産興業、富国強兵策を実施している。世界史に例を見ないほどの革命が成功したのは、既に庶民にいたるまで広く武士道精神が浸透していた証拠ではないか。

近代武士道

20世紀にはいり、軍事力では欧米列強に肩を並べるに至った日本は、白色人種による有色人種支配と植民地政策に、有色人種のリーダーとして如何に闘うかが第三の国難であった。福沢諭吉「学問のすすめ」や新渡戸稲造「武士道」によって知的成長を遂げた大衆は、日露戦争と第一次大戦の勝利で「白色人種何するものぞ」という気概をもったことは確かである。武士道は「アジアの解放」や「大東亜共栄圏」のスローガンに「死に狂い」の形相を呈した。
第四の国難は未曾有の完膚なきまでの敗戦である。戦勝国側は、日本はこれで100年は立ち上がれないだろうと踏んでいた。しかし明治維新から30年で欧米列強国をキャッチアップしたと同様、敗戦から30年で戦勝国を捉えた。日本人に流れる武士道DNAは原爆をもってしても組み替えられなかった。いつの時代も正義や国難に向かうとき、一身を省みず誠実に事に当る武士道精神によって愛する者や国を守ってきたのである。新渡戸武士道に宿るキリスト教プロテスタンティズムは、これからもゴルフの思想源流と重複して、多くの日本およびアジアのエリートやリーダーの精神基盤となるであろう。それは新渡戸武士道が仏教、儒教、キリスト教を融合したグローバル思想であるがゆえに、21世紀のグローバル世界をもリードする思想になりうると確信するからである。