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National Golf Foundation College Textbooks
THE GOLF FUNDAMENTALS
-  ゴルフ基礎原論  第一部 ゴルフゲーム  -
第一章 フィロソフィー
Section 3 ゴルフと騎士道精神

騎士道の源流

いつ頃どのような形でゴルフに騎士道精神が導入されていったか定かではないが、現在からその思想背景を遡っていくと間違いなく騎士道精神にたどり着く。ゴルフの精神や騎士道精神について書かれた書物は意外に少なく、定説がないのかとも思われるほどである。騎士道も武士道と同じように戦国動乱の封建社会から生まれてきた思想制度であって、決して氏素性が正しいわけではない。騎士も武士も、荘園領主が隣国や夜盗から領地や領民を守るために雇い入れた用心棒のようなもので、下手をすると用心棒が居直り強盗に早変わりすることもあったに違いない。職業柄、軟弱であってはいざというとき役に立たないし、さりとて平時はおとなしくしてもらわなければ困る、という二律背反に雇用側の荘園領主も頭を痛めた。そこで勇敢であることは絶対条件にして正直、謙虚、礼儀、責任感、正義感、忠誠心など雇用側に都合の良い条件が付加されていったが、どの時代もどの社会も、有能な人材を多く抱えたものが地域支配力を強め勢力を拡張できたわけだから、有能なものに官位や地位を与え優遇したことは間違いない。中国社会でも既に三国志の時代に、関羽のような勇猛かつ律儀な武将は、敵将曹操に嫉まれるほど評価されているし、日本社会でも平安時代に源義朝、平清盛など勇猛にしてみやびを備えた武将が評価されている。

騎士道について研究しようとすると最初にセルバンテスの「ドン・キホーテ」がでてきて、次にドン・キホーテの頭を狂わせた「騎士道物語」が出てきてほぼ終わりとなる。「ドン・キホーテ」がスペイン語で出版されたのが1605年で欽定英訳聖書が出版された1611年の翌年には英訳されている。世界のベストセラー・ロングセラーの一位が「聖書」、二位が「ドン・キホーテ」だそうだから、この二冊がゴルフに大きな影響を与えたとなると、私たちにとっても重要な参考文献になると思われる。この二冊はゲーテやドストイェフスキーの文学にも大きな影響を与えたというが、少なくとも騎士道精神が彼らの文学に影響を与えた訳ではないはずだ。「ドン・キホーテ」はあくまでも騎士道をテーマにした滑稽な空想小説で、騎士道のありかたや倫理道徳規範が書かれているわけではない。だから騎士道がゴルフに影響を与えたと考えるには無理があり、むしろドン・キホーテが夢見た理想の騎士像をゴルファーに対して求めたように思えてならない。セルバンテスが小説を通して皮肉ったように、キリスト教で補強したはずの騎士道精神は、残念ながら宗教革命や民主主義の台頭によって、すっかり骨抜きにされてしまったようだ。むしろ騎士道精神はジェントルマンシップに生まれ変わって、倫理道徳規範を備えた男性の理想像となり、やがてダンディズムに変貌していったのではないか。

騎士道の影響

そのように考えると、古き良きゴルファーたちが追い求めていたものが理解できるし、思想源流を訪ねるのも容易だ。一言で言えば、その時代時代の「かっこよさ」であり、中世にあっては騎士こそ理想の男性像であったに相違ない。しかし私たちが決して間違ってはいけないのは、思想源流を訪ねるとき表面的な外観にとらわれて内面的な精神や魂を忘れてはならないということである。私たちが求めるものは騎士道精神がもつ倫理道徳観や行動規範であって、身に付けている鉄仮面や鎧には興味すらない。しかし実際に私たちはこの事を間違いやすいのであって、その証拠に「エチケットマナー・キャンペーン」と称して未だに服装のことばかり警告している現実がある。もう一度私たちは、騎士道が求めた精神とは何か、その精神はどのようにゴルフに受継がれて来たのか、源流を訪ねつつゴルフの基本精神-ゴルフマインド-を探求する必要がある。

ゴルフに騎士道精神が宿ったと思われる理由として、ゴルフファーも騎士も遊び人が多かったと言うことが考えられる。もともとゴルフはマッチプレーを主流とするバクチであり、決闘形式をとっている。古今東西遊び人が身を滅ぼすのは「飲む、打つ、買う」の三拍子と相場が決まっていた。というより、今と違ってそれしか遊びがなかったと考えるほうが正しい。どれも金がかかるから争い事は絶えないはずで、もめごとを決着する手段としても、ゴルフは大いに役立ったようだ。禁止令を出さなければならないほど、眼に余るものがあったようだし、国王自ら禁止令を破るほど夢中になるものが多かったと言うことだ。「ゴルフの最大の欠点はおもしろすぎることだ。」と言われるほどゴルフのおもしろさは歴史が保証しているにも拘らず、わが国に限ってゴルフが衰退していく理由はナンだろう。ゴルフをつまらなくする決定的要因が、どこかにあるに違いない。下手な振興策を考えるより、つまらなくする原因を探るほうが有効と思われる。別章で検証してみたい。

13条のルールを作らなければないほど、ゴルフに夢中になる人が多かったものと思われるが、当時から一般庶民がゴルフに夢中になっていたかとなると甚だ疑問が残る。中世の庶民は貧乏で遊ぶ余裕も金もなかったはずだから、遊び人といえば貴族の師弟か騎士、その取り巻き博徒に決まっている。しかし、ジェントルマンズクラブが最初のルールを定めたとなると、事情は唯事ではなさそうだ。ゴルファーはジェントルマンであって欲しい、騎士道精神を持っていて欲しいと言うのは理想であって、現実は遊び人や博徒が多く今も昔も浄化運動が盛んに行われたのではないか。確かな歴史考証はないが、貴族が賭ゴルフに負けて荘園や城を取られてしまったり、爵位などの貴族身分を奪われる事件が度々あったとも聞く。卑怯な手で負けた者は、本物の決闘を申し込んで大事件になるケースもあったかもしれない。いつの時代も人間の性に大した違いはないから、ジェントルマンズクラブの面々は仲間内でルールを定め、争いごとやもめごとを極力避けようとしたのであろう。

ブラウニング説

別の観点から考えると、スコットランドにゴルフが誕生したのは西暦1100年とするロバート・ブラウニング説 -Robert Browning:A History of Golf 1955 - があり、この説を採用すると1096年に始まった十字軍の遠征と時期がぴったり符合する。聖地エルサレム奪還にローマカソリック教会からスコットランドにも出兵要請が届いたはずだが、十字軍の兵士はまさに聖戦に参加するにふさわしい騎士でなければならなかった。要請を受けたヨーロッパ各国の国王は名誉にかけて選りすぐりの騎士達を選抜し派兵したと思われるが、時期が符合することからスコットランドゴルフに騎士道精神が導入された理由としては充分すぎる動機となる。ゴルフの発祥をスコットランドに定め、思想源流をキリスト教騎士道精神に求めるならば、ブラウニング説は俄かに現実味を帯びてくるのである。スコットランドゴルフが神の御前における聖戦という思想を持っているのは、十字軍遠征と深い係わりがあったからだと考えても何ら不思議はない。何ゆえゴルフに限って、かくも厳しい礼儀作法や自律自戒の精神が求められるかを考えると、遊びといえども根底に聖戦意識があったと考えるのが順当ではないだろうか。