- ゴルフ基礎原論
- 目 次
- 第一部 ゴルフゲーム
- 要 綱
- INTRODUCTION
- 第一章
フィロソフィー - INTRODUCTION
- -1 ゴルフの伝統的思想背景
- -2 セントアンドリュウス
- -3 ゴルフと騎士道精神
- -4 騎士道精神と武士道精神
- -5 「あるがままに」の思想
と自己審判制度 - -6 ゴルフの倫理観と
ジェントルマンシップ - 第二章
セオリー - 第三章
メソッド - 第四章
ゲーム - 第五章
サイエンス - 第二部 ゴルフマネジメント科学
THE GOLF FUNDAMENTALS
- ゴルフ基礎原論 第一部 ゴルフゲーム -
Section 5 「あるがままに」の思想と自己審判制度
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あるがままの意味
達人にして武士道ゴルファーの中部銀次郎は『ゴルフは「在るがままに」が全てである。』と言残した。「あるがままに」とはそれほどに意味が深く多くの含蓄を含んでいる。ゴルフがスコットランドという気候風土の中のリンクスランドという場所で育ったことに意義がある。スコットランドのリンクスランドで「あるがままに」プレーしてみればその意義はイヤでも分かる。人間の誘惑に対する意志の弱さ、感情や精神の脆さ、正義感や公正理念の欠如などおよそ人間に潜在する不善なる部分が抉り出されて愕然とする。「人間は原罪を持って生まれ義人は一人もいない。」という聖書の言葉どおり、人間の本質をいやがうえにも思い知らされるのである。ワイレン博士が言ったとおり、ゴルフは極めて単純なゲームで、更に「在るがまま」というこれ以上単純化できない基本原則を定めることによって、人間のもつ複雑な側面が次々と現れ、DNAの中に潜在する原罪意識までが抉り出されるという仕組みをつくった。誰もが一様に感ずるゴルフの神秘性は、この「あるがままに」と「自己審判制度」にあると考えられる。このどちらが欠けても、ゴルフは言葉どおり極めて単純なゲームとなるであろう。
ワイレン博士は当初からボールの飛行に関する物理的側面よりも主体となるプレーヤーの人間的側面に強く関心を持っていた。だからPGAマガジンに「Ball Flight Low」を発表したあと、1978年に心理学者リチャードコープ博士と共著で「The New Golf Mind」を出版している。この著作は大脳生理学の立場からプレーヤーの心理と行動を分析し、何らかの指針を与えようとしたものだがやはり限界がある。ワイレン博士の言葉どおりプレーヤーの心理も行動も「人間の複雑な存在」に起因する問題だからである。人間そのものが神秘的存在だから、ゴルフに限定したところで人間を研究対象とする限り、ますます神秘の世界に迷い込むことになる。
ゴルフの本質
「あるがままに」や「自己審判制度」についてまとまった研究論文や著作を見たことがないが、ゴルフの本質を探究しようとしたら、この二つがキーワードではないだろうか。「あるがまま」にまつわるエピソードは多いが、ボビー・ジョーンズがこの原則に抵触したことを自己審判し、正直に申告したことによって全米オープン優勝を逸した話は余りにも有名である。もし申告せずに優勝していたら、後世はこれほどまでに彼を賞賛したかわからない。
2001年ロバート・レッドフォード監督映画「バガー・ヴァンスの伝説」がリリースされた。この映画の主人公ジョージア州ゴルフチャンピオンは、第二次世界大戦に出征し激戦体験から心的障害者となって帰還する。帰還を待っていたフィアンセは破綻ゴルフ場のオーナーとなっていたが、大恐慌に打ちひしがれる街の人々と恋人を再起させたい一心でボビー・ジョーンズとウォルターへーゲンを口説いてエキディビジョンマッチを企画する。この試合の話を聞いて天使のように現れた黒人キャディーと街の少年ファンが主人公を助けるが、第1ラウンドは12打差ついてしまう。その後二人の応援で最終ラウンドイーブンに追いついて街は騒然となる。ところが主人公は最終ホール第二打目に枯れ枝を取り除こうとして僅かにボールを動かしてしまう。ジョーンズとへーゲンは「気のせいだろ?こんな勝ち方したくない」と言ってプレーの続行を促すが、黒人キャディーは「神の前に自分が信ずるままに。」と言って去る。主人公は自らにワンペナルティーを課してスリーオンにしたが、誰もがこれで試合は終ったと思った。ジョーンズはパーオンしてツーパットのパー、へーゲンは奥からチップをピタリと寄せてパー。最後にひとり10メートルのパットを残して勝負が決まることになったが、日没となってライトに照らされるグリーン上に一筋のパットラインが光る。祈るフィアンセの前で無心に打った絶体絶命のパットは、カップに吸い込まれて静寂が大歓声に変わる。海岸を一人歩く黒人キャディーは大歓声に振り返ってニッコリと頷く。劇的な引き分けで試合は終わり、街の人々と主人公は元気を取り戻した。
ロバート・レッドフォード監督は何を言いたかったか。「あるがままに」と「自己審判制度」の意味、それに「神の審判」の重さである。
救済概念
このように「あるがままに」の大原則は伝説が生まれ、映画化されるほど重い概念だが、余りの重さに「アンプレヤブル」という救済概念ができた。あるがままに打つことはゴルフの理念であり理想なのだが、実際には「物理的に不可能な場合」と「技術的に不可能な場合」がある。前者は穴に入ったりして、どうにも打ちようがない場合をいい、後者は技術不足でプレーできない場合をいう。この二つの場合のほかに、自己審判制度は「心情的に打てない場合」を加えたのである。実際にあったケースとして「卵のあるひばりの巣に接していた場合」、「美しい野の花に接していた場合」、「トンボが止まって離れなかった場合」などいずれも「あるがままに」に打つのが大原則ではあるが、自己審判制度は誰の判断を仰ぐことなく、ワンペナルティー払って小さな命を救済することを許している。いずれの場合も理由は説明しなくとも、ただ一言「アンプレヤブル」と大声で宣言するだけでよい。ゴルフの基本理念は、なんでもないルールの中にフィロソフィーが根付いている。
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