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National Golf Foundation College Textbooks
THE GOLF FUNDAMENTALS
-  ゴルフ基礎原論  第一部 ゴルフゲーム  -
第一章 フィロソフィー
Section 2 セントアンドリュウス

セントアンドリュウスを地図で調べると、ロンドンの北方約400キロのエディンバラから、更に50キロほど北の北緯56.5度位に位置する北海に面した小さな街である。同緯度にモスクワ、カムチャツカ半島、アラスカ半島がある。年間通して寒く、一日に何度も天候や気温が変わる厳しい気象条件にある環境だ。資料や文献を調べると、1100年頃には城も大修道院もあったようだし、セントアンドリュウス大学も1410年に開校したとある。従ってかなり古い都市国家だったと思われるが、この地方は今でもスコットランド王国で、国民意識や民族意識もかなり強いようだ。この地方で「Are you a English?」と聞くと毅然として「No. I am a Scot.」と否定する。私たちからするとみんなイギリス人と思うが彼らはそう思っていないようだ。国旗も違うし言葉もかなり違う。スコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドはユナイテッドキングダムUKの構成員だが、それぞれ国は違うと思っているようだ。オリンピックにはUKの統一国旗の下に出場するが、ゴルフトーナメントはそれぞれの王国旗の下に出場する。私たちには解り難いが、長州人と会津人みたいなものか。

騎士道の影響

ゴルフ発祥の地はスコットランドかイングランドかで、ひと悶着おきたことはゴルフ史に出てくる。ジェームス2世が靴屋のジョンパターソンと組んで二人の貴族を負かし、スコットランド発祥説を守ったという話だが、史実をマッチプレーで決めようとは粋な話でおもしろい。もめごと争いごとをゴルフの勝負で決着する。決着がついたら一切文句は言わない。なぜならば神の審判に間違いや不正があろうはずがない。神に対する絶対の信頼に基づく、敬虔にして合理的な判断基準であるから、これ以上のものを人間の知恵に頼んでなんとする。
ヨーロッパの近代化、文明化を支えたキリスト教プロテスタンティズムこそ、ゴルフの基本思想や基本理念であり、騎士道の倫理行動規範でもある。国王、大臣、役人、国民すべからく神の前に正直かつ誠実であれ。ゴルファーたるものエチケットを守って誠実にプレーし、自ら審判を務めて正義に基づき正直に己を裁け。それでこそ誇り高き騎士道精神を有する大英帝国国民であり伝統ゴルファーの姿であると。

ゴルフのメッカ

セントアンドリュウスの街を歩けば、そこここに歴史の足跡が残され、宗教と教育とゴルフがスコットランド人を形づくり、ゴルフの基本精神となっていったのではないかという確信が強まる。自然環境の厳しさとリンクスランドの荒々しさの中で、神の前に自ら審判を務め、正義を守って正直にプレーする。人間にとってこれ以上の精神修養はあるまい。正統ゴルフを身につけたものであるならば信用できる。ジェントルマンとして仲間に加えることができる。このようにしてジェントルマン・ゴルファーズクラブがつくられ、いっそう規律や規則が強化されていったと思われる。
同時にゴルフはどんどん市民の間にも普及し、堅苦しいこと抜きに大衆化していったことも窺える。セントアンドリュウス・オールドコースは今でも公共広場であり、聖日の日曜日は休業して公園となる。もともと門も塀もなく誰でも好き勝手に出入りできるから、日曜日は子供や年寄夫婦がコースの中でボール遊びをしたり昼寝をしている。ゴルフ発祥の神聖なる名コースだの権威ある伝統コースだのという面影は全くない。茫然自失するのは、このような市民の営みが500年余に渡って同じ場所で営々と続けられてきた事実と、同じ場所で伝統ある全英オープンが開催され、世界最高のプレーヤーが選ばれるという事実が共存していることである。そこには何の気取りもてらいもなく、現実だけが事実として目の前にある。驚きも感動も超越した心情は、茫然自失という言葉以外に表現のしようがない。歴史とは、伝統とはこういうことを言うものか。

歴史と伝統

実際にコースでプレーして分かることは、自然の中で在るがままにプレーすることの意味である。セントアンドリュウスは公共広場だから道路とコースが交錯していたり、以前は鉄道が横切っていたり洗濯場があった。つまりゴルフコースというより市民の生活空間と表現するほうが正しい。当然雑草も生えたままだし、ウサギや子供が掘った穴もそのままになっている。日曜日には女性も遊びに来るからヒールのかかと跡があちこちにあってもおかしくない。ただしグリーンはロープを張って立入禁止にしてあるから、ロープを跨いで入る不届者はセントアンドリュウス市民にはいないようだ。
こんなコースでプレーするのに、在るがままにプレーせよとは何事かと思うがゴルフの思想源流を探るには、ここから出発しなければ何も見えてはこない。そのうえこの地方の自然環境は誠に厳しくて、晴れた穏やかな日は余りないしスタートしたときは小春日和でも、数ホール進むうちに一転俄かに掻き曇り、嵐が来たかと思うほど荒れ狂う。海から吹き付ける冷たい強風に、身も心もちじみ上がり、打ったボールはどこに吹き飛ばされるかわからない。来たことを後悔しても帰る道がない。この状況の下で「ごまかしてはならない。偽ってはならない。在るがままに打て。神は全てを見ておられる。」というのだ。北海の海洋民族は日常茶飯にこのような状況に遭遇し、自然の前における人間の無力と小ささを思い知らされ、神に跪いて祈ることを教えられるのである。だからセントアンドリュウスは宗教と教育とゴルフ発祥の地とされたのである。