- ゴルフ基礎原論
- 目 次
- 第一部 ゴルフゲーム
- 要 綱
- INTRODUCTION
- 第一章
フィロソフィー - 第二章
セオリー - 第三章
メソッド - 第四章
ゲーム - 第五章
サイエンス - INTRODUCTION
- -1 フィジカルサイエンス
- -2 メンタルサイエンス
- -3 ロジカルサイエンス
- -4 デジタルサイエンス
- -5 飛距離に挑戦する
科学技術開発 - -6 科学技術開発と
人間能力開発 - 第二部 ゴルフマネジメント科学
THE GOLF FUNDAMENTALS
- ゴルフ基礎原論 第一部 ゴルフゲーム -
Section 6 科学技術開発と人間能力開発
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科学技術開発は留まるところを知らず、近代兵器開発や産業技術開発に見られる如く人類や地球の滅亡を招く段階まできてしまった。科学技術はなぜこのように進化が早いかといえば、科学技術に生命が無いために古い技術を進化させて新しい技術を開発し、常に技術集積を連続させることができるからである。例えば20世紀初頭の第一次世界大戦では銃と大砲による肉弾戦であったから、一般市民の無差別殺戮という残忍な戦争にはならなかった。しかし、僅か30年後の第二次世界大戦では原子爆弾という大量無差別殺戮兵器が使用され、一瞬にして数十万人の一般市民が犠牲になっている。さらにその30年後には、大都市や小国家を一発で滅亡させる威力のある爆弾が開発されているが、科学技術の進化は100年足らずで人類滅亡まで到達してしまったといえる。
私たち日常生活の中心にある自動車も100年の歳月を要しなかった。ベンツが最初に自動車を発明したのは19世紀末で、20世紀初頭にはフォードが大量生産を始めている。100年後には世界中の人々の足となり生活必需品に進化している事実からも科学技術開発の早さが分る。一日かけずに世界中何処へでも行けるようにした飛行機の進化も同じことがいえる。20世紀初頭にライト兄弟が最初に有人飛行に成功してから40年で原爆投下に使用された大型長距離爆撃機B29が開発されているし、その20年後には大型ジェット旅客機が世界中を飛び回ることになる。科学技術の進化は誕生から完成まで人間の寿命年数で充分だといえよう。
このような観点から科学技術開発の進化と限界を考えると、ゴルフの科学技術開発が始まって30年経ち、もはやその限界が見えてきたことに何ら不思議はないように思える。R&Aを中心とした英国伝統精神ゴルフを大切にする保守主義の人達の目には、米国科学技術ゴルフの将来が見えていたのかもしれない。実は科学技術の開発を用具の面だけで見ると既に限界が見えてくるが、科学とはもっと広く深いものであることを考えれば展望は大きく開けてくる。本章で既に触れてきたように、サイエンスとは思想精神、文化芸術、環境自然、植栽園芸、教育医療など人間の幸福や福祉に必要な領域全般に係わっている。ゴルフが総合科学であるがゆえに、飛距離にこだわった用品開発だけが科学技術開発と思い込んでゴルフの将来を案じてはならない。飛距離を追求する開発競争はそろそろ終焉を迎えたと考えるべきだろう。
21世紀の科学技術開発
20世紀の科学技術開発を総括すれば、人間の本能や欲望を充足させるものに集中していたといえるかもしれない。資本主義に支えられた産業革命、唯物主義に支えられた共産革命によって幕開けした20世紀は、終ってみれば神や人間の尊厳を置き忘れたまま、物質追求に明け暮れていたことは明らかである。いま静かに振り返ると、米国や日本に伝わったゴルフはようやく100年少々の時を経過したことになるが、米国のゴルフは1929年の不動産バブル崩壊によって破綻し、日本のゴルフも1991年の不動産バブル崩壊によって破綻している。米国も日本も時間差はあるものの、同じような経過を辿るのは歴史の浅さに由来するものかと考えさせられるが、ならば今後はどのような方向に向かって発展すれば良いかについても考えなければならない。欧米諸国は既に誰でもゴルフができる低料金合理経営システムを開発しているし、プロテスタント諸国を中心にゴルフによる青少年の倫理道徳教育プログラムを開発している。単純に考えるならば、ゴルフ後進国日本が21世紀に目指す方向は、人々や社会に役立つゴルフ環境開発ではないか。それは私たちゴルフ愛好家にとっては長年の夢であり後世の人々に対する将来遺産でもある。今でも日本人のやりたいスポーツの上位にいつもゴルフがあるにもかかわらず、ゴルフに対するイメージは悪すぎるし正当な市民権も得られていない。ゴルフが伝統スポーツ文化として、あるいは国民生涯スポーツとして日本の土壌に根付くのは、まさに21世紀を迎えてこれからといえるのではないだろうか。
私たちが真っ先に取り組まなければならないのは教育環境開発と思われるが、教育環境が整なわなければ人材育成ができないし、人材が育たなければゴルフ文化の発展が進まない。教育環境とは専門教育機関の整備と人材育成プログラムの開発であるが、現状における日本の大学基準や専門学校運営規定の枠内で実現することが難しいのは、大学も専門学校も日本の教育行政によって、がんじがらめに縛られており、真の教育環境は教育行政や既得権益の枠外に存在すると思われるからである。本書が取り上げた5つの領域は、いずれも現行教育制度の枠に収まらないばかりか、担当する専門の教師もいない。21世紀の教育環境とは、それほどに既成概念の脱皮や未知未来への探求が求められているために、行政や規制の枠にとらわれては飛び立つことすらできないのである。
幸いにして21世紀を迎えた私たちの生活環境は、IT社会を迎えて大きく変貌しようとしている。IT社会は時間や空間、コストの概念を超越した今まで私たちが経験したことのない未知の環境を構築しつつある。この環境には従来の既成概念や既得権益が入り込む隙がないから、自ずと未知未来が拓けてくるのである。IT社会では日本で受けられない専門教育が自宅で学習できるといわれているし、外国語の授業が自国語で受けられるようになるという。現場でなければ体験できないことが、映像やシミュレーションを使って模擬体験できるようになるともいう。莫大な費用がかかった教育が何十分の一という僅かな費用で済むようになるという夢のような話ではあるが、万事全てが理想どおりにいかないことくらい、多少の人生経験があれば誰もが承知している。しかし、夢が現実になりつつあることは事実だし、21世紀の科学技術開発の最大テーマであることも間違いない。20世紀初頭、ライト兄弟が空を飛ぶことに夢を抱き人生の全てを賭けていたとき、知識人たちは「機械が空を飛ぶことはありえない。兄弟の永遠の夢である」とあざ笑っていたという。いつの時代も夢とはそういうものらしい。
人間能力開発
科学技術開発の速さは、その誕生から衰退まで人間の生涯時間を要しないと述べたが、それは進化が乗数的に累積していくからである。あたかもトーテムポールのように、ひとりの発明発見者の上に次から次へと新たな発明発見者が跨って、忽ちのうちに天に聳え立ってしまう姿に似ている。しかし、人間能力はそうはいかないばかりか、常に初めからやり直しの連続である。人間は環境や教育訓練によって育つものだが、有史いらい達人で生まれてきたものは一人もいないし、経験や能力を遺産に残したものもいない。誰もがあらゆることに関して第一歩から始めなければならないし、学習と体験を繰り返しながら一歩一歩螺旋階段を昇るようにして上達しなければならない。ベン・ホーガンの子供もタイガー・ウッズの子供も、如何に親に愛されても決して親の技術や経験を受け継ぐことはできない。人間能力開発の出発点は常にこの平等の原則から出発しなければならないが、本書を貫く思想として「教育の原点には常に明確な理念や方針がなければならず、又その理念や方針には万人普遍の原理原則が存在しなければならず、技術や方法はその原理原則に則ったものでなければならない」という一貫した考えがある。この一貫性があって初めて教育の目的である人間能力開発の連続性が生まれてくる。
この知識や技術の連続性こそ文化の基盤であって、連続しなければ文化とはいわない。ゴルフが悠久の文化と言われるためには、先人が研究した知識や開発した技術がカノンのように連続し、その時々
の研究や開発を私たちはサイエンスと呼んで連続性の原理と考えている。
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