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HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第1章 ゴルフの思想源流

ゴルフ発祥

ロバート・ブラウニング著『History of Golf』によれば、スコットランドのゴルフ史家の間ではスコットランドゴルフ発祥は西暦1100年という説が有力だそうだが、十字軍の遠征が始まった時期と重なるので、ゴルフの思想源流をキリスト教騎士道精神に求めるとこの説は誠に都合が良い。1096年ローマ教皇はヨーロッパのキリスト教徒に聖地エルサレムの奪還を呼びかけたが、各国の騎士達はこの檄に応えて続々と遠征軍に加わり十字軍を編成したとある。当然スコットランドのカソリック緒教会にもこの檄文は届いたはずで相当数の騎士が志願したと思われる。聖戦に参加する騎士達は神の前に「正義に則って勇敢に戦う」ことを誓ったに違いない。
この時期にキリスト思想に基づく騎士道精神がゴルフに宿ったときと考えるべきだろう。この時代のプレー方式はマッチプレーであったから、礼儀作法とか、正々堂々とか、弱者憐憫とか十字軍騎士に求められた姿勢が、そっくりそのままゴルファーに求められたのではないか。この時期をゴルフ思想の発祥期とし、思想源流をキリスト教騎士道精神に求める有力な根拠となりそうである。しかし私たちが忘れてはならないのは、この時期のプレー方式がマッチプレーであり、あくまでも一騎打ちの決闘思想だったということである。現代ゴルフの思想源流となるストロークプレーが行われるまで、更にこのあと500年の歳月を要することも忘れてはならない。

マッチプレーと騎士道精神

ゴルフゲームはマッチプレーによって始まり、ストロークプレーによって普及した。マッチプレーはプレーヤー同士の決闘であり、1対1、1対2、1対3、2対2の試合形式がある。決闘ルールはお互いが合意すれば内容は問われない。ただひとつ「卑怯な真似はするな」が合意事項だったと思われる。だから十字軍騎士に求められた「弱者に憐れみを持って正々堂々と闘え」という精神が、そのままゴルファーに求められたと考えられるのである。マッチプレーではいたる場面で「武士の情け」が求められた。あるがままが大原則のゴルフでは、進退窮まることが頻繁に起こる。木の根元にボールがはまり込んでしまってどうにも打てない。ハリエニシダの中に入ったボールを取ることもできない。ウサギの穴にボールが入ってしまった。例を挙げればきりがない。だからマッチプレーでは常に弱者に憐れみを持って闘わなければ、正々堂々と闘ったことにはならない。相手の不運を喜んで完膚なきまでに叩きのめすが如きは、騎士として断じてあってはならない行為だった。
スコットランドを発祥とする騎士道ゴルフのはじまりである。騎士道ゴルフでは堂々と闘える条件を事前に話し合って決めておけば良い。後はその都度お互いに対戦相手に裁定を求めながら試合を進めることになる。中にはこじれて本物の決闘になってしまうケースもあったろう。だが基本的には騎士道精神に則って戦うことが条件だから、それほど卑怯なことは行われなかったと考えるべきだろう。それならば、この時代に特にルールを必要としなかった理由も納得できる。

宗教改革

正統ゴルフは16世紀から17世紀、スコットランドのセントアンドリュウスで宗教改革とともに始まったと考えたい。ドイツ人マルティン・ルターは聖書を翻訳して「ローマ教会が言ったりやったりしてきたことは、まるでおかしいではないか。」とかんかんになった。長年ヨーロッパ全土を支配してきたローマの権威と権力に対してルターは真っ向から反抗-Protest-したのである。この反抗はプロテスタンティズムとなってやがてイギリスにも飛び火する。ゴルフ愛好家ともいわれるジェームズ一世は、勅命によりオックスフォード、ケンブリッジ、ウェストミンスター三大学の聖書学者たちにギリシャ語で書かれている聖書の英訳を命じ、1611年ジェームズ王欽定訳『聖書』を出版した。生まれて初めて聖書を読んだ当時の人々の驚きや衝撃は如何に大きかったか想像を絶するものがあるが、セントアンドリュウスは昔から宗教と学問の街として栄えた歴史があるだけに、聖書とプロテスタンティズムがゴルフに大きな影響を与えたであろうことも想像に難くない。セントアンドリュウス市街には廃墟となった大聖堂跡や凄惨な模様を描いた壁画などが残っていて、今でも当時の状況を想像することができる。ルターは著書『キリスト者の自由』で「我らは長年にわたり大衆を奴隷の如く拘束してきた地上の権威、宗教、身分、階級、富などから解放され、いまやキリストを唯一の主、王の王と認めてその庇護の下、真の魂の自由を謳歌するであろう」と言う意味を語っている。

プロテスタンティズムとゴルフ

ローマ教会や君主の権威の前に飼犬のごとき忠誠を誓わされてきた騎士や、奴隷のごとき隷属を強いられてきた農民職人たちは魂の解放によって自由を得て、人間としての能力や才能に目覚め、これら全て神の賜物として受ける喜びに浸ったに違いない。神が造り賜いしゴルフコースで、神より賜わりしゴルフゲームを楽しむプロテスタント。聖地セントアンドリュウス・ゴルフリンクスの発祥と、神の審判に基づく神聖ゴルフゲームの誕生である。
当時、ゴルフは決闘と同じマッチプレー方式で行われていた。剣やピストルを使って決闘するのとは違い、騎士の名誉をかけて闘ったとしても、ゴルフの決闘ならお互いに命を落とす心配がない。誰とでも何回でも闘える。数少ない貴族階級にしてみれば、大事な後継息子が女の奪い合いや些細な争いで命を落とされてはたまったものではない。国王としても戦時に際して国を守る若き騎士たちが決闘で次々と死んでしまっては、まさに国家存亡の危機になりかねない。「騎士たるもの神の審判の下、正々堂々とゴルフで闘いなさい。必ずや神は正義に味方し勝者を祝福するであろう。」と国王が言ったかどうか。国王自ら率先してゴルフを愛好し、自らゴルフ禁止令を破り、アイルランドでの宗教紛争勃発の知らせにもゴルフを止めなかった姿に、ほほえましい想像をしたくなるではないか。

神聖ストロークプレー

やがて決闘と同じマッチプレー方式から、社交手段として一人一人がコースと戦うストロークプレー方式が主流になってきた。貴族や騎士たるもの、社交の場でズルをしたり、スコアをごまかしたり、悪態をついたりしては些かみっともない。やがて神の御前における謙虚な行動や、神の審判に対する真摯な姿勢が求められるようになったものと思われる。ストロークプレーが行われるようになってから、ゴルフの基本精神はガラリと変わった。
ストロークプレーはプレーヤー同士の戦いではなく、一人一人がコースや自然と闘うことになるから、各自が神の前に謙虚にして潔癖でなければゲームが成り立たない。神は行いより心を見られるから、少しでもやましい心があれば自ら神の審判の前に立たなければならないという恐ろしいことになった。神の審判の下に行われるストロークプレーでは1744年に決められた13条のルールがあれば充分だったはずである。キリストの絶対権威の前に服従するプロテスタントにとって、神の目を盗む行為や虚偽の申告をするが如き行為は、死を以ってしても償いきれぬ恐ろしいことだからである。かくして自己審判というより、神の審判による神聖ストロークプレーの時代が始まった。現代ゴルフルールも第1章エチケットで始まり、第2章プレーの規則に審判規定がないことは、ゴルフの思想源流を訪ねなければ到底理解できない。第1章エチケットは律法的な戒めから段々キリストの愛と寛容に変わってきたものと思われる。そのためか罰則規定も禁止規定もなく、全て自己判断となっているところにプロテスタンティズムを窺わせる。多くが無神論者となった日本人や中国人が、真のストロークプレーヤーとして認められるには、まだ相当の時間と努力が必要だろう。