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HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第17章 ゴルフ武士道の影響

新たな国難

倫理道徳だの武士道などと強制されたら、私だって逃げ出すに決まっている。だから家庭も学校も扱いきれなかったわけで、個人主義や民主主義が進めばなお更のこと扱いが難しくなるはずだから、苦い妙薬を飲ますには砂糖をまぶす以外に手はない。ところがゴルフは昔から「おもしろすぎることが最大の欠点」とまで言われてきたから、子供も喜んで口にする砂糖の中に苦い妙薬をたっぷり仕込んだのがゴルフといえる。ゴルフとなれば大人だって大はしゃぎして顰蹙を買うことがあるし、度が過ぎて起訴されたり破産したり失脚する者すらいる。その『ゴルフ規則第一章』にいきなりエチケットがくるのは、こうでもしなければみんな気が狂ったようになるから、まず初めにおとなしくさせてから次にゲームの規則について定めたのではないか。ゴルフは紳士のスポーツと誤解している人も多いようだが、放っておけば獣のスポーツになってしまうから規則第一章にエチケットを定めたと考える方が間違いない。審判も監視もいない自然の中で戦闘をするのに、正直に誠実に謙虚に闘えとは何事かと思うのが当たり前で、自分はそれに従ったとしても相手が従う保証はどこにもないと思うのが普通だろう。中国故事に「小人閑居(かんきょ)して不善をなす」とあるがほとんどの人がひとりになれば何をするか分からない。聖書に「義人はいない、ひとりもいない」とあるように、生まれながらに義人や聖人がいるわけがなく、躾や教育によって嫌々ながら紳士に育てられるのである。だからゴルフはジェントルマンズ・スポーツというには少々口はばたく、むしろジェントルマンズ・トレーニングゲームというべきだろう。人はなんら教育も訓練も受けず、試練にも苦難にも会わなければ、罪深い本能や悪知恵を持っている分だけ、かえって獣より厄介な存在になり得る。社会に躾けられ訓練を受けて初めて動物とは異なる人間性が養われるのであって、倫理、道徳、理性、人格、教養など全て後天的に醸成されることは、既に狼に育てられた子供が証明している。良くも悪くも人は社会で育つことを考えれば、社会の在り方は人にとって極めて重要であることは否定できないが、だからといって一人ひとりに課せられた責任までも全て社会に転嫁する風潮は許し難い。社会の責任を追及する前に、まず自分自身の在り方を問う姿勢が大切ではないかと思うのは、私の考えではなく親世代に教えられたことである。親世代は日本が全体主義の真っ只中にある時代を生き抜いた人達だから、自己責任の意識が大変強く、それも家族や仲間と連帯して責任を負っていた。個人の利益より集団の利益が優先し、集団の利益より全体の利益が優先したから、個人の人権や利益が無視されることは頻繁にあったと思われる。しかしこのような社会通念や社会体制は1945年の敗戦と憲法改正によって完全に覆され、戦勝国の指導によって個人主義、民主主義が導入されたが、日本人の長い歴史に支えられた社会通念や慣習を簡単に変えられるはずがない。私たちは戦後この大混乱の中で育ってきたが、自由と責任、権利と義務、個人と社会といった高度な社会通念に対してなんら定見を持たず、ただ右往左往して半世紀を過ごしてしまった。自由には責任が伴うこと、権利と義務は表裏であること、個人は社会の一員であり社会は個人の集合によって成り立つことなど、余りにも当たり前な民主主義の原則が、なかなか理解できず今日に至った気がする。個人主義を利己主義と思い込み、民主主義を平等主義と勘違いして家庭が崩壊し、教育が荒廃し、社会が混迷し、国家が衰退して初めて気が付くことは、親世代までの日本人が言ったりやったりしてきたことは、案外正鵠を得ていたのではないかという気がしてならない。日本や日本人の歴史を俯瞰すると、そこに一貫した理念や通念のようなものが流れており、それがどうやら武士道と称しているもののような気がする。武士道は徹底した個人主義であり自己責任制度でありながら、個人の利益や権利は徹底して帰属集団や社会の前に放棄し犠牲となる思想といえる。何百年にわたって貫かれたこの一貫した思想が、戦勝国の占領政策で一夜にして変更されたからといって、簡単に社会通念や生活習慣が変わるはずがなく、時が経つに従って混乱や混迷は深まるばかりである。個人が自由や権利を主張すればするほど、家庭や社会の支えを失って孤立する一方だし、国家を否定すればするほど、国家権力や役人の権限が拡大されるのは一体どうしたことだろう。親世代は個人の権利を主張しなかったが、家族や仲間は深い絆で個人を支えていた。国家は国民の権利を軽視していたが、国民は国を愛し誇りに思っていた。いま私たちは何かを間違ったことに気が付いているが何を間違ったか分からない。何とかしなければならないことは分かっているが、どうすればよいか分からない。これを国難と呼ばずに何とする。

ゴルフ武士道

武士道の復活を唱えれば必ず右翼思想や軍国主義の台頭と思う人がいる。新渡戸武士道を読めば右翼思想や軍国主義と何ら関係ないとすぐ分かるが、これはオリンピック会場で日の丸を見たからといって、誰も戦場を連想しないのと同じ理屈だ。右翼思想や軍国主義がトラウマになっている人は、武士道とか日の丸と聞いただけで、大根を見て大腿を妄想する若者のように平常心を失う。戦後の知識階級が左翼思想にかぶれ、共産主義のプロパガンダに踊らされていたことは否めないが、もういい加減に赤色ウィルスに抵抗力ができてもよさそうだ。中学まで軍国少年だった私も高校大学では肩身の狭い思いをし、どうせ昼寝の枕にしかならない『資本論』を、見栄と保身のために持ち歩くザマだった。もう共産主義は崩壊したし資本主義も自壊し始めたいま、私たちは余りにも経済性に囚われすぎた思想基盤から脱皮して、もっと人間性を重視した基盤を構築しなければならない。世界はこの百年間、良くも悪くもマルクスとケインズに振り回されてきたが、二人とも人間や人間の営みを観察するのに、余りにも経済的・唯物的側面に偏りすぎていて、あたかもスコアやドライバーの飛距離にしか関心がないゴルファーのようで深みがなくおもしろくない。実はとっくの昔に古代ギリシャで破綻したくせに、民主主義だけが一人偉そうな顔をしているから、ここらでひとつ天皇制武士道でも担ぎ出してみたらどうか。「日本の歴史と伝統に基づくわが国固有の制度思想は、世界に類を見ない唯一のものですが、何か文句ありますか?」と開き直れば世界は言葉も出まい。2600年の歴史を持つ万世一系の天皇制と1000年の歴史を持つ伝統思想の武士道は、わが国にとって欠けがいのない知的財産だ。この財産は国民全員が共有できるし、WTOの保護など受けなくとも世界の人々に利用してもらえばよい。しかしこの財産は敗戦によって一度失いかけたように、私たちひとりひとりが大切に守らなければ、簡単に失うことも考えられるから絶えず注意を払う必要がある。私たちの血液の中にどれほどの武士道DNAが残されているか心配ではあるが、少しでも残されていれば触媒を使って増殖し、日本の魂を復活再生したいものである。再三触れたように武士道は「習うに習う処なく、教えるに教える術がない」からゴルフを触媒に使わないと、とても武士道単独では復活再生できない。そこで武士道とゴルフをハイブリッドすれば新和魂洋才という21世紀の有力なDNAが誕生するのではないかと考えて、この新和魂洋才を備えたゴルファーを「神聖サムライゴルファー」とでも命名して培養してみたいと思うのである。和魂洋才を身に付けたかつてのサムライたちは、和魂として厳しい自律の精神と豊かな惻隠の情を有し、洋才として幅広い教養と奥深い感性をもっていた。ならば新和魂洋才を備えた神聖サムライゴルファーは何を身に付ければよいか。まず和魂としてゴルフ武士道を学び、洋才として神聖ゴルフを身に付けるならば、日本人のアイデンティティを失うことなく、国際社会で信頼される新種の人類に進化し、やがて世界に躍り出て大活躍するに違いない。