NGF WORLD Golf Campus Image
  • メンバーログインは右の [ Login ] ボタンをクリックしてください。
HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第14章 女性と武士道

鎌倉幕府の影武者

新渡戸稲造は武家の女性を高く評価しており新渡戸自身も米国人女性と結婚しているから多少フェミニストなのかもしれないが、「武士道序文」を読むと妻のためにこの本を書いたようにも思えるし、武士道精神は女性がつくりあげた理想の男性像ではないかという気がしてくるのである。典型的な専業主婦であった武家の女性の役割は、まず男子を産み賢く育てて後継者に育てることだから、全知全能を傾けて我が子の男性教育をしたはずである。戦国武士道の始まりとも言える源平の時代に、源氏の頭領・源義朝の側室常磐御前(ときわごぜん)は夫の仇である平清盛の妾となってまで三人の息子の命乞いをしたが、その母の命懸けの想いに応えて息子達は立派な武将に育ち、兄頼朝を助けて平家討伐の力となっている。頼朝が流人の時代に頼朝を預かった北条時政の娘政子(まさこ)は、危険を顧みず火のように頼朝を慕い妻となって夫を助け、ついには平家を倒して鎌倉幕府を開いたが、頼朝の死後も尼将軍となって朝廷と対決し鎌倉幕府の基盤を築いている。どうやら頼朝や北条一族を裏で操っていたのは政子ではないか。常盤御前が捨て身の策を打たなければ、義経の生存も源氏の大勝もありえなかったし、北条政子が捨て身で頼朝を愛さなかったら源氏の再興も鎌倉幕府もありえなかった。歴史を裏から読めば、どうやら女性に操られて歴史がつくられているように思えてならない。武士は女性によって育てられ、武士道は女性によって画かれた思想ではないかという思いが一層強くなるのである。

徳川幕府の影武者

同じ思いで江戸幕府の成立を見れば、秀吉の正室ねねの存在が大変気になるが、先ず秀吉自身があそこまで信長に信用された影には、妻のねねが信長にこよなく可愛がられていた事実があるようだし、百姓出の秀吉を立派な武将に仕立てたねねの功績は大きい。ねねは夫秀吉だけでなく加藤清正、福島正則、小早川秀明らを自分の子供のように育てているが秀吉の死後出家して高台院(こうだいいん)となり、大阪方と江戸方を裏で操っていたのではないかという説は有力である。関が原の合戦に際して西軍と東軍の勢力は拮抗しており、結局は小早川秀明の動向で勝負が付いたが、高台院は無関係とする説に無理がある。西軍の実質大将は淀君であり、淀君はねねにとって身勝手な側室風情であることを思えば、ねねが育てた加藤清正、福島正則、小早川秀明らを東軍に付けて積年の思いを一気に晴らしたい心情は実に解りやすい。清正、正則、秀明らが義母高台院に抱く思いと、三成が亡き主君秀吉に抱く恩義とどちらが強いか考えると、武士道は最早どちらにも軍配を挙げかねるのではないか。江戸幕府成立の裏に、二人の女性を巡る武士道の熱い闘いがあったように思える。

明治維新の影武者

大政奉還と江戸城無血開城の裏にも女性の力が働いている。島津藩が送り込んだ徳川家定の正室篤姫(あつひめ)は、家定の死後出家して天章院(てんしょういん)となり将軍後見人となったが、天皇家から嫁いだ嫁の和宮(かずのみや)と力をあわせ、勝海舟や西郷隆盛を動かして幕府解体と江戸城明け渡しを実現している。もしこの二人の女性の捨て身にも思える大胆な行動がなかったら、第二の関が原ともいうべき日本を二分する大戦争が起こり、押し寄せる外国勢につけ込まれて江戸は焦土と化し、明治維新は実現しなかったと多くの歴史家は指摘している。明治維新の立役者は多いが、本当の立役者は裏方の天章院ではないのかと多くの人が考えている。大政奉還と江戸城明渡しまでは誰の目にも島津、毛利(もうり)、長宗我部(ちょうそかべ )の徳川に対する復讐戦つまり仇討ちと思えるが、日本の国難に当たって女性が示した命懸けの武士道大義は、人を動かし世を動かして、またしても日本を救うことになったのである。

武士道の伝道者

日本史上最大の国難である敗戦に際して、女性の力が何処まで影響したのか現段階ではよく分からないが、母親や伯母たちの言動を思い出すと、父親や伯父たちより遥かに激しい戦いをしていたことが窺える。歴史は未だ何も語ろうとしないが、夫や息子を戦場に送り出した女たちの悲愴な思いは、武士道精神で武装していない限り耐えられるものではない。岸壁に佇んで無言で息子の帰還を待ちわびる母親の姿や、小さな子供を抱いて無言で夫の戦死の訃報を見つめる若妻の姿に、果たして語る言葉はあるのだろうか。何百年にわたって積み重ねられたこの女たちの思いは、武士道という、言葉では語れない深い思想理念となって引き継がれてきたのではないかという気がしてならない。
男が女の信頼と尊敬を得られる唯一の舞台は、命懸けで女子供を守るときに決まっている。
そのとき男が臆病であったり、卑怯な行動に走れば女は男を見限り、信頼も尊敬もしなくなるだろう。言い換えれば、女性にとって信頼し尊敬に値する人物や人格のあり方として武士道が語り継がれてきたと考えられないだろうか。それならば母から子へ、子から孫へと言い伝えられ実践されてきたことに何ら不思議はないし、新渡戸がいうように学校で学ばなくとも、幼いときから知らず知らずのうちに学んできた意味が理解できる。そうなると戦後の家庭環境や母子関係の中に、どれほど武士道精神が宿っていたかが問題になるが僅かでも残っている限り、国難が迫り不義がまかり通れば、武士道は必ずや怒りをあらわにし正義の刃となるはずである。北朝鮮拉致被害者の母を見ていると、武士道はこういう女性によって語り継がれ、育てられてきたのではないかという気がしてならない。